学校に行けなくなると、
気づかないうちに、たくさんの「正しさ」に囲まれます。
学校には行った方がいい。
勉強もした方がいい。
朝は起きた方がいい。
受験もあるし、進路も考えなきゃいけない。
うん、わかってる!
本当は、ちゃんとわかってる。
それは、子どもだけじゃありません。
親だって同じです。
周りからの視線。
親としての理想。
「不登校の親なんだから」という、見えないプレッシャー。
学校に行かせた方がいいのかな。
勉強、遅れちゃうよね。
生活リズムだけは守らせなきゃ。
ゲームばかりは心配だし。
ちゃんと話も聞いてあげなきゃ。
私がしっかりしなきゃ。
わかってる!
そうした方がいいのは、わかってる。
でも、
それでも、しんどい日がある。
どうしたらいいのか、
自分でもわからなくなる日がある。
「その正しさは本当に正しいのかな?」
そんな問いも、もちろん大切です。
でもね、
その前に、少し立ち止まってみてほしいんです。
僕らは、
正しい人になるために生きているわけじゃない。
間違えないように進むためだけに、生きているわけでもない。
ただ今は、
わかってほしい。
受け止めてほしい。
大丈夫だよって言ってほしい。
愛されていると感じたい。
それだけのことなのかもしれません。
ここで、すれ違いが起こります。
子どもと親。
夫と妻。
親と先生。
子どもと先生。
大切だからこそ、
良かれと思うからこそ、
正しいことを伝えたくなる。
でも、
今その人が欲しいのは、
「正しさ」よりも、
「気持ちに寄り添ってもらうこと」なのかもしれません。
だからこそ、
ときどきでいい。
正しさや常識を、
いったん横に置いてみる。
人として。
親として。
「どうすれば正しくなるか」ではなく、
「どうしたら一緒にいられるか」
そんな視点で向き合えたとき、
言葉じゃないところで、
少しずつ思いは伝わっていくのかもしれません。


